破壊神の系譜
14.「乱調」
「―――ぃ・・せい・・・・ねぇ、遊星ってば!」
「っ!?」
耳に響く大きな声で呼ばれてはっとする。
気が付くと、近すぎるくらいに顔を寄せて覗き込んでいた灰色の大きな瞳が目の前にあり、遊星は蒼い瞳を瞬かせた。
「・・・ラリー?」
「どうしたの、遊星?さっきからヘンだよ。呼んでも返事しないし。」
むぅと一見怒っているようにも見える表情は、本当は自分を心配していることがよくわかる。
手元を見ると、自分は林檎の皮をむいている途中だった。
いつの間に朝食を終えていたのだろう。覚えがない。
遊星は、小さく溜息を漏らした。
今朝からずっとこの調子だった。
ほとんど寝付けずに朝を迎えて、着替えが終わったころにジャックが帰ってきた。
互いに一言も話さず、黙々と朝食の準備をした。他のことに没頭することで、昨日のことを思い出さないようにした。
そして、ラリーが起きてくると、今度は緊張が弛んだのか、気が付くとジャックのことばかり考えている。
・・・重症だと思った。
「・・・ねぇ、遊星。ジャックとけんかしたの?」
一度ジャックをちらと見て、ラリーは小さな声で遊星に耳打ちした。
いきなり確信をついてきた言葉に、遊星の心臓はドキリと跳ねあがる。
「・・・喧嘩は・・していない。」
「じゃあなんで二人とも話さないのさ。俺、なんか居心地悪くてやだよ〜」
ころんと遊星の膝の上に頭を乗せてくるラリーに、すまない、心の中で謝った。
喧嘩、ではない。では、なんだというのだろうか。
ふと視線を上げれば、紫の瞳と目があった。
戻って来てから、一言も話さないジャック。新しい衣に着替えた後も(衣を渡すときも互いに無言だった)、いつも通りの定位置でクッションに身を預け、しかしその視線は一瞬たりとも自分からそらされないのだ。
「(気疲れする・・・)」
だから、視線を上げれば必ずジャックと目が合う。気まずくて顔を合わせられない遊星にとって、その強すぎる視線にすぐに顔を反らしてしまう。
おかげで朝からうつむけ続けている首が痛い。
ジャックが何を考えているのか分からない。しかし、今の遊星にはそれを聞くことができなかった。
「遊星、リンゴは?」
「あ、あぁ・・もう少し待・・・っ!」
ラリーに急かされ、すっかり手の止まっていた作業を再開する。
四つに切った欠片の芯を切り落とし、最後の皮をむき終えようとしたときだった。
あっ、と気づいた時には遅かった。サクッと林檎の皮を切り落としたナイフは、誤って添えていた左親指まで切ってしまった。
本当に、らしくない。
「遊星っ、指切ったの?」
「あぁ・・・浅いから、大丈夫だ。先に食べていろ。」
林檎を皿の上に置いて立ち上がると、遊星は片手で籠の中をあさった。昨日作り足したばかりの切り傷の薬はどこだったか。
左親指に走った傷は、ぷくりと赤い雫を膨らませていた。そういえば、以前ラリーが同じところを怪我したことがあった。あれは、ラリーがジャックの剣の珍しさに不用意に触ってしまったときで―――
「なにをしている?」
不意に間近で掛けられた声に、遊星はつい大げさに肩を震わせてしまった。
振り向くと、今日はまだ一度もまともに見られなかった顔がそこにあり、遊星は思わず逃げ出しそうになってしまった。
しかし、逃げられなかった。傷のある手を、ジャックに掴まれてしまっていたからだ。
「お前が指を切るなんて、らしくないな。」
「ジャ・・ク・・」
遊星は、震えそうになる声を必死に抑えた。
なぜ震える。
怖いのか、ジャックが。
違う。
では、なぜ。
わからない。いま、どうジャックに接していいのか。
「遊星」
ジャックの低い声が、優しく名を呼ぶ。でも、応えられない。
その綺麗な紫の瞳を見つめる勇気が、今の自分にはない。
応えず、顔をうつむけ逸らしかけたとき、急に掴まれた手を引かれ た。何事かと顔を上げれば、次いで指先に感じる濡れた感触。
遊星は先ほどとは比にならないくらい、びくりと肩を跳ねあげさせてしまった。ジャックが、傷のある親指を口に含んだのだ。
「あッ・・・」
思わずこぼれた声を、慌てて飲み込む。沁みる傷口に手を引こうとするが、力強い手がそれを許さない。
ジャックは咥えこんだ指に歯を立てて押さえつけ、傷を撫でるように厚い舌をうごめかす。血の混じった唾液を呑み込むように吸われると、思わず息を詰めた。
――――まるで、昨夜の口付けのようで。
「っ・・ジャック・・・」
ジャックはなかなか指を離してくれなかった。
このままだとまた夜の熱を思い出してしまいそうで、遊星はジャックの肩を押しのけようと手を伸ばしかけたが、ふとその手が止まる。わずかに横に視線を向けると、ラリーが林檎を口に咥えたままじーっとこちらを見ていたのだ。その目は、物珍しげにこちらに向けられている。
ラリーはまだ子供だし、奇異な目でこの光景を見てはいないのだろうが、ここで自分が変な態度をとればいぶかしむかもしれない。
でも―――
「・・・ジャック、・・もぅ、いぃ・・」
弱弱しい、囁くような小さな声を絞り出す。
これ以上ジャックに触れられていたら、それだけでおかしくなりそうだった。震えそうになる吐息を、口元に右手の甲を押し当てて押さえようとする。
その時、不意に指先を撫でまわす舌の動きが一瞬止まる。
不思議に思って逸らしていた視線を向けると、そこには紫の瞳が間近にあった。
強い瞳。
一度捕えられたら、放すことができない。
今朝から視線を合わせられなかったのはこのためだったのか。
捕えられて、どうなる?
そして、捕らわれてみたいと思う今のこの気持ちが不思議と心地よかった。
ギリッ
「痛ッ!」
突然指を噛まれて、霞のようだった意識が急に鮮明になった。
じんと痛みを持った指先を一度ぺろりと舐め上げて、ジャックは指を放した。
「・・ジャック?」
「薬は、あったのか?」
「え・・・」
そうだった、薬。
遊星は籠の中をのぞきこむと、以外にも薬入れは手元にあってそれを取り出す。
「貸せ」
遊星の手から薬入れを取り上げると蓋を開け(薬は小さな木の実を二つに割り、中身をくりぬいたその中に練り込んである)、指先に少し掬って傷のある遊星の指先に乗せた。濃緑色のそれを、軽く塗り広げていく。
「この傷は、治癒魔法で治さんのか」
「え・・・ぁ、あぁ・・・治癒魔法は、自分の傷は治せないんだ。」
突然声をかけられて驚いたが、ジャックは遊星の答えが意外だったらしく、わずかに目を見開いて「そうなのか?」と呟いた。
傷はもう出血は止まっており、包帯を巻くのも面倒な位置なので薬を塗るだけにした。
テントの中は、ひどく静かだった。
ラリーはもう林檎を食べ終えたのだろう。林檎を食む音がしない。
ジャックはもとのクッションのある位置に戻る様子はなく、遊星の前に胡坐をかいて座ったままだ。
遊星も。薬を塗った指先を眺めながら、なにか言葉を探していた。
ジャックと話がしたい。
でも、言葉が浮かんでこない。
日頃から話題提供のできない性格が悔やまれた。
「・・・?」
「遊星、どうした?」
「遊星?」
突然、顔を上げてあたりを見回すように頭を巡らせた遊星は、テントの入口の一点に視線を向けた。
「・・外が、騒がしい。」
もうすぐ仕事の始まる時間とはいえ、ただならぬ数の足音と人の気配が聞こえる。耳の良い遊星は、その中に不安と恐怖に満たされた声があることに気付いた。
そこへ、一つの足音がこのテントに向かってくる。走ってきたのであろうその足音は、砂ぼこりが舞い上がりそうな勢いで急停止して、勢いよく入口の垂れ布を跳ね上げて飛び込んできた。
「遊星っ!!」
「ブリッツ!?どうしたの、そんなに息切らして」
驚くラリーを尻目に、ブリッツは乱れたドレッドヘアを掻きあげて必死の形相で叫んだ。
「遊星、大変だッ!帝国の奴らが、この集落めがけて攻めてきやがった!!」
「えぇっ!?」
驚きに叫んだのは、ラリーだけだった。